焚火と環境

「木を切る事は悪なのか」〜木と環境について考える〜

 

「薪を焚いた分は植林してね」

「こんな事だから森が無くなる」

 

私がYouTubeで薪について発信していた時にコメントされました。こんな事を言われるたびに木の生命力と、森の循環について説明していましたが、それでも低評価は多かったことを覚えています。
悔しいですが、私が動画上で発信する事を辞めたきっかけがアンチコメントでした。

 

 

 

植樹活動は必要なのか

 

 

自然環境に興味がある方は植樹もしています。樹木を大切にすることはとても素晴らしい事であり、私自身も植樹の経験があります。

しかし、必ずしも植樹は必要な行為ではないとも考えています。

 

例えば、私の所有している田は一年休耕しただけでヤナギが沢山生えました。

イヌコリヤナギ

 

おそらくあまり背丈は伸びることのないイヌコリヤナギだと思います。大きくても6m程らしいです。湿気の多い場所で良く育つ事で有名で、休耕田で生える確率の高い樹木です。

薪にできるような樹木ではありませんが、十分に森を育ててくれます。

 

他にも、樹木周辺を刈り払い(下刈り)しなければ、新しい苗が育っている事もあります。知らずに刈ってしまう事が多いです。
どこからか種が飛んできて自然と育つ場合もあり、木というのは自ら植樹していく植物なのではないかと思います。

 

 

 

 

人間はおこがましいと思う

 

 

そもそも人が手を下さなくとも、自然は再生されていきます。それほど木の力は偉大だという事です。
そんな自然をどうこうするなんておこがましいのではないのかと思います。それより自然の力を借りて共存していく道が本来あるべき姿なのではないでしょうか。

 

しかし、自然環境の事を考えて植樹をすることはいい事です。意味は自分で見つける物です。他人が意味を見出さずとも、自分がいいと思っていればいいのではないでしょうか。

私は植樹を否定しません。自然を大切にしていこうと思う気持ちは尊い事です。

ただ、人の力を借りなくとも自然は再生するということができます。去年の冬に伐採したナラやサクラは20年後には大きくなり、また薪エネルギーに変換されるでしょう。

 

伐採は悪、植樹は正義という考えはなくしていきたいです。もちろん無意味な伐採や悪戯に環境を破壊するような行為は絶対にしてはいけませんが、自分が良いと思った事にはとことん向き合うべきです。

たとえ誰からも評価されなくても良いじゃないですか。無意味でも良いじゃないですか。

 

私は無意味な植樹を続けます。楽しいからです。木が好きで、薪が好きですから。